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東京高等裁判所 昭和42年(う)1528号 判決 1967年10月12日

控訴人・被告人 伊藤政一

弁護人 坂東克彦

検察官 渡辺寛一

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人坂東克彦および被告人が差し出した各控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、いずれもこれを引用し、これに対して当裁判所は、次のように判断をする。

弁護人の論旨第一点および被告人の論旨(いずれも事実誤認)について。

原判示事実は、原判決がかかげた証拠により、十分に認めることができ、記録を精査しても、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認の疑いはない。

所論は、被告人は本件道路左側部分の中央部のあたりを時速約三〇粁で進行し、本件横断歩道手前約三〇米の地点で、左側道路から横断歩道に一歩足をふみ入れた老人を発見した、老人はそれからさらに一歩位前に出てから足を横に開き、ステッキをついて完全に立ちどまり、県庁方向からの車の流れや右側信号の方を見ていた、被告人は走りながらこの老人の動向を見守り、老人が自分の安全を考えて横断を一時あきらめ、進行してきた被告人の車を含めた一〇数台の車両を進行させ終り、信号により車両のとだえた後に横断歩道を渡ろうとしているものと判断し、スピードを約二〇粁に落し、安全を確認しながらそのまま停止することなく、車道左側部分の中央部を、被告人の立止つているところとかなり余裕をおいて進行したものであり、なお、老人の停止していた個所のすぐ先の左側には貨物自動車が三台停車していたので、老人は何らの危険を感じないで停止していたし、また、本件犯行を現認して、被告人を検挙した警察官長津七男は、右貨物自動車のために、老人の行動を明瞭に確認することのできない状態にあつたのである、と主張する。

そこで考察するに、原判決挙示の証拠中、証人長津七男、同佐藤マツノの原審公判廷における供述を総合すれば、

(一)  歩行者である老人は、横断歩道によつて、古町通りから、白山公園入口に向けて車道を横断するため、歩道から横断歩道に二、三歩足をふみ出したが、被告人の車を先頭に十数台の車両が進行してくるのを見て、その場に一時停止したものの、その際別段歩道上に引き返すような素振が見受けられなかつたことが、明らかであり、右事実に徴すれば、右老人は、横断歩道によつて、古町通りから白山公園入口に向けて車道を横断しようとしたものであるが、被告人の車を先頭に十数台の車両が進行してくるのを見て、横断に危険を感じ、その安全を見極めるため、一時停止したにすぎないものであつて、歩道上に引き返すような素振を見せる等外見上明らかに横断の意思を放棄したと見受けられるような動作その他の状況が認められない以上、直ちに横断の意思を一時放棄したものとは認められないこと、

(二)  被告人は一時停止することなく、歩行者である右老人の直前一・五米ないし二米のところを通過したこと、

(三)  右老人が立止つていた個所のすぐ先の左側には貨物自動車が停車していた、事実がなかつたこと、

(四)  長津七男は、被告人および右老人の行動を近距離から現認し、被告人が横断歩道直前での一時停止を怠つたものと認めたので、同人を検挙したものであること、

をそれぞれ認定することができ、右認定に反する被告人の原審公判廷における供述は、信用することができないから、右主張を採用することができない。論旨は理由がない。

弁護人の論旨第二点(法令適用の誤り)について。

所論は、道路交通法第七一条第三号にいわゆる、「横断しようとしているとき」とは、歩行者が横断意思を有し、現実にその外形的行為、状況からその意思が明らかに感知せられる場合をいうものであるところ、前述のように、本件老人は、しばらく待てば信号の変化により、車の進行がとだえるので、それまで横断をさしひかえようとして、そこに立ちどまり、車の進行を見ていたものと考えられるから、このような場合にまで右法条を適用するのは誤りであると主張する。そこで考察するに、右法条にいわゆる「横断しようとしているとき」とは、所論のように、歩行者の動作その他の状況から見て、その者に横断しようとする意思のあることが外見上からも見受けられる場合を指称するものであるが、論旨第一点において説示したとおり、老人が横断歩道で立ちどまつたのは、そのまま横断すれば危険であると考え、その安全を見極めるためにしたものにすぎず、横断の意思を外見上明らかに一時放棄したものとはいえないから、この場合は、前記法条にいわゆる「横断しようとしているとき」に該当するものというべきである。そこで右主張もまたこれを容れることができない。論旨は理由がない。

よつて、本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法第三九六条により、これを棄却することとして、主文のように判決をする。

(裁判長判事 河本文夫 判事 東徹 判事 藤野英一)

弁護人坂東克彦の控訴趣意

第一、事実の誤認

原判決には事実の誤認があつて、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

被告人は事件当日新潟市一番堀通りを第二種原動機付自転車を運転して県庁方向から昭和橋方向に向けて進行中、西堀交差点で停止信号により一時停止した。その際の被告人の位置は停止車両の先頭にあつた。被告人の停止中に十数台の自動車が、被告人の脇や後方に連つたが、被告人は、青信号により、これらの車とともに発進した。

被告人は道路左側部分の中央部あたりを時速約三〇粁で進行し、本件横断歩道手前約三〇米の地点で左側道路から横断歩道に一歩踏みいれた老人を発見した。老人は横断歩道に降りてから、さらに一歩位でてから、足を横に開き、ステッキをついて完全に立ちどまり、県庁方向からの車の流れや、右側信号の方を見ていた。被告人は走りながらこの老人の動行を見守り、その老人が自らの安全を考えて、進行してきた被告人の車を含めた十数台の車輛を進行させ終り信号により車輛の途絶えた後に横断歩道を渡ろうとしているものと判断し、スピードを約二〇粁におとし、安全を確認しながらそのまま停止することなく、車道左側部分の中央部を進行したものである。右の事実に関し、原判決は、

(一) 被告人は歩行者の一・五米か二米位のところを通過した。

(二) 横断歩道左側のすぐ先に貨物自動車が停止していた事実は認められない。

(三) 仮令、歩行者が一時停止したとしてもこれによつて横断の意思を断念したとみることはできない。

と判示している。

しかし、(一)については、証人長津七男の証言によつても歩行者と被告人との間にすれすれではなく、かなり余裕をおいて通過したことは明らかであり、該道路の幅員と歩行者の停止位置ならびに被告人の走行位置を考えた場合、もつと離れていたものと考えられる。

(二)については、証人長津七男はこれを否定し、証人佐藤マツノの証言は必ずしも明確に事実を明らかにしていないが、被告人の供述はかなり明確であり、被告人が取調べにあたつた長津七男と被告人の所為が道路交通法違反に該るか否かについて議論していることから、さらに、長津七男は当日交通取締にあたつていた警察官として、被告人が一時停車したかどうかについて強い関心を払つていたと考えられることなどから同証人が貨物自動車の存在についてあまり記憶にないことをもつて、貨物自動車がそこになかつたものと直ちに断定することはできないはずである。

(三)については、右(二)の事実と関連するところであるが、貨物自動車がすぐそばにある場合、歩行者が車道を進行中の自動車を先に進行させようとして立ちどまるとしても、わざわざ歩道に立ちもどることはまず考えられない。

横断しようとしている者が特に老人であり、また進行車が被告人の車とともに一団となつて進行してくる場合には本件老人として、一時横断の意思を放棄したとみるのがむしろ相当であると考えられる。

以上の事実から、原判決が老人が横断歩道を「横断しようとしていた」ときに該ると認定したのは明らかに事実の誤認にあたる。

第二、法令の適用の誤り

原判決は道路交通法第七一条第三号の解釈を誤りこれを適用したものであり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかである。

右同条にいう「横断しようとしているとき」とは、歩行者が横断意思を有し、現実にその外形的行為、状況から、その意思が明らかに感知せられる場合をいうものと考える。すでに述べたように、本件老人は、いましばらく待てば、信号の変化により、車の進行が途絶えるので、それまで横断をさしひかえようとそこに立ち止まり車の進行を見やつていたものと考えられるのであるから、このような場合にまで右同条を適用することはできない。このような場合にまで道路交通法が適用されると解することは、かえつて交通の停滞を来すことになり、同法制定の趣旨にもとると考えられる。

さらに付言するならば、本件被告人の所為が同法に違反するというのであれば、被告人の車とともに進行していた他の車輛も同様同法違反に問われなければならないので、被告人だけが問責されなければならないというのは平等の原則に反し、不衡平である。よつて原判決には法令の適用の誤りがあり、これが破棄せられなければならない。

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